無知の知とは 1
美魚には分からない、釈然としない事が3つある。
1つは去年の8月の、人気のない昼下がりに、安魚と遊んだ公園で見た変な事。
安魚は滑り台で遊んでいた。小山を模したもので、下からは上に立つ子供の姿は見えない。そこに筒状の滑り台がついている。普段はいつでも子供に大人気であるが、暑さのせいか、今日は貸切状態である。
安魚は筒に入って、下からよじ登って遊んでいたが、美魚にはふと、継ぎ目の所に、子供の靴が揃うのが見えた。安魚と同じくらいの幼児のサイズだった。
「安魚ー、誰か滑ってくるからどきなよ」
と、美魚は安魚を筒から出して、子供が滑って来るのを待った。
しかし、誰も滑ってこない。
安魚も
「誰もいないよー」
と、また筒に入って遊び始めた。美魚は上に上がって確かめたが、やはり誰も居なかった。
辺りはシーンとして、子供もその親らしき人もいない。
あれ、なんだろう。
神様セット
熊野神社に古いお札を納めて、新しくお札を貰いにゆく。毎年美魚は、3000円の神様セットを頂いている。大御神と、熊野神社札と、竃神とヒトカタ三つ、そして、白いヒトカタがあと二つ。
長年疑問に思っていた、白いヒトカタについて、今年始めて宮司さんに質問してみた。
三角形のモノは歳神様で、細長いものは大晦日に家をお祓いするものである、との事である。
15年近くこのセットをもらい受け、すべて神棚に上げていた美魚は、謎が解けて凄く清々した。
歳神様は元旦にやって来て、7日に行ってしまわれる訳ではなく、一年間滞在されるということが嬉しく、さらに大晦日に家をお祓いできるなんて、そんな良いこと何故早く質問しなかったのだろう。
もし知っていれば漁太郎は骨折しなかったかも知れない。
だが、美魚は今それを知ったことで、来年の災厄を防げるようにも思うのであった。
明日の夜はさっそく家中お祓いしよう。なんか、良い年が来そうではないか。
これも引き寄せか。
美魚はその日、朝から大掃除を始めた。漁太郎は居ないので、たぶん仕事に行ったのだろう。でも、朝は布団にいた気がするな、と片付かないような気分で猫トイレを洗っていると、昼前にいきなり漁太郎が右手に包帯を巻いて帰ってきた。昨日の仕事の休み時間に転倒し、余りに痛みが続くので今朝病院に行ってきた、とのこと。翌日紹介された別の病院でギプスをつけてきた。中指を骨折して、全治一ヶ月との診断である。
漁太郎がまた仕事をすることになった時に、美魚は
仕事なんてしなくていいのに。
私たちはもう金持ちなんだから。
と、考えた。正確には金持ちのつもりでいただけであるが、仕事をしなくていい、というのは現実になった。
漁太郎は肉体労働なので、右手を骨折するのは致命的である。
漁太郎は美魚に31万円を渡して、
「これなくなったら終り」
「でも、何とかなるでしょ」
呑気に話す。
美魚もそう思う。
財布に31万入れてるだけで楽しい気がするし。
漁太郎が骨折したのは美魚のせいだろうか。呪いか。引き寄せか。
時代はプレステ2
安魚はプレステ2のサルゲッチュが大好きだ。シリーズソフトを100円で買って貰って、漁太郎に教わりながら朝から晩までサルゲッチュなのである。カケル ヒカル サヤカ ナツミ サトルなんである。
漁太郎は3歳8ヶ月の安魚にスパルタ指導。
「なにやってんだよ!クッキー取れよ!洋服取れよ!行けよ!右だよ、右ー!逆ー!飛びトンボだろ!変身しろよ!今変身しても意味ない!自分でやれよ、そっちもう猿いないよ!あーもうなにウジウジしてんの、やれよ、敵も倒せよ、ちゃんとそーゆーのも取れよ!ちがーう!だから言われた通りやれよー!」
漁太郎がウッキーファイブや、難しい面をクリアして、安魚もコントローラを激しく操作して猿をゲッチュ。
美魚はあんまり興味ない。凄いなとは思う。怒鳴られても安魚はへっちゃらだ。これが柔道とか、卓球などスポーツなら褒められるんだろな。若しくは芸事一般、伝統芸能とかのスパルタ指導。
褒められると言えば、安魚はよく人から
「3歳!しっかりしてますねー」
と褒められる。
初対面でも他人と会話が出来るからなんだと美魚は思う。
「安魚は黄金アンギョだからねー」
「安魚はほんとは猫がたロボットなんだよ」
「だから強いんだよ」
「はー、しっかりしてるわー」
でも、なに言ってるか他人には分からないだろう。
戯言をいう姿が可愛い。バカ親だ。
夢の中の神社
美魚は時々神社の夢を見る。境内を歩いていたり、この先は神社だな、と感じている夢が多い。
先日は、小さな神社に手を合わせて、
「私の絵が売れますように、喜んで買ってもらえますように」
と祈っていた。
拝殿に入ると、こじんまりしているが、色々な開運グッズや御守り、おみくじなどが並べられていて、好きなだけ貰ってもよい。美魚はポケットをパンパンにして、神社を後にした。
目が覚めて、しばらく夢を反芻した。
以前白い龍神の夢を見たときも、美魚は
「絵が上手くなりますように」
と、額付いて祈っていた。
目が覚めているときは物欲の固まりで、それ(金で買える幸せ)しか考えていないのに、実際に神社を詣でても、引越しばかり祈るのに、何故、夢の中ではその事を願わないのだろう。
宝くじに当たるほうが、金持ちになる可能性がある。
美魚の絵で下北沢に家が買えると、信じられるだろうか。
もし、本当に思考は現実化すると信じられれば、マウィミウオは富の源泉になるはずである。
限界状況なんて存在しない。乗り越えられるんだ。
投企せよ!
人間はなりたい人間になる!
アンガジュマン!
二十歳くらいでは信じていた。わりと未だに信じていたりする。